2023.10.20てくてく🐾テクログ
本日担当させて頂きます、横浜営業所の津之地です。
いつもご覧になって頂きありがとうございます。
それでは今回も、鹿児島県についてご紹介させて頂きますね。
今回は、鹿児島城(又は鶴丸城)についてご紹介します。
鶴丸城は、慶長6年(1601年)頃に、のちに島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に
着手した島津氏の居城で、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城です。
居館の正面中央に、威風堂々たる「御楼門」がありますが、この「御楼門」明治6年(1873年)
の火災で焼失してしまいました。
ただ、2020年に日本最大の城門として復元されてます。
ちなみに、この城の正式名称は「鹿児島城」で、「鶴丸城」の呼称は、城の地形が鶴の羽を広げた
姿に似ていたので、そう呼ばれるようになったそうです。
今回は、西郷隆盛の魂が眠る城、鹿児島城をご紹介しました。
それでは、また次回をお楽しみに。
我がふるさとパート26
みなさん、こんにちは。本日担当させて頂きます、横浜営業所の津之地です。
いつもご覧になって頂きありがとうございます。
それでは今回も、鹿児島県についてご紹介させて頂きますね。
今回は、鹿児島城(又は鶴丸城)についてご紹介します。
鶴丸城は、慶長6年(1601年)頃に、のちに島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に
着手した島津氏の居城で、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城です。
居館の正面中央に、威風堂々たる「御楼門」がありますが、この「御楼門」明治6年(1873年)
の火災で焼失してしまいました。
ただ、2020年に日本最大の城門として復元されてます。
ちなみに、この城の正式名称は「鹿児島城」で、「鶴丸城」の呼称は、城の地形が鶴の羽を広げた
姿に似ていたので、そう呼ばれるようになったそうです。
今回は、西郷隆盛の魂が眠る城、鹿児島城をご紹介しました。
それでは、また次回をお楽しみに。